北浦和コラム

6月26日 北浦和公民館主催 『初夏の見沼通船堀周辺を歩く』に参加いたしました。
参加者17名(定員20名)でしたが、あいにくの雨で、3名が当日欠席でした。講師に歴史研究家
青木 義脩氏が当たり、それは楽しく実りある時間を過す事が出来ました。
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講師青木 義脩先生



10時東浦和駅前を出発、駅前の信号を左に折れると、間もなく見えてくる用水路が
見沼代用水西縁です。
北浦和公民館職員の挨拶があり、見沼通船掘り仮締め切りから一の関に向かって散 
策の始まりです。

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散策の始まりです


あいにくの雨でしたが、それほど気になる事もなく皆さん熱心に聞き入っています。
見沼通船掘は、芝川と東西の用水路を結ぶ運河で、年貢米を、江戸に運ぶのが目的
でした。水位差が3m、それぞれ2箇所の関があります。
用水路を下ってきた船は、芝川を通って、荒川を下り江戸に向かいました。
これら船には、お米で100俵の量が積み込まれ、帰りは、肥料、塩、雑貨などが運ば
れて来たたそうです。
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旧見沼たんぼ

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仮締めの関所跡

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一の関所跡

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二の関所跡

見沼代用水は、利根川から星川、元荒川、綾瀬川などの水を取り込み見沼代用水路に
流れ込んでいます。この用水によって見沼新田が開かれ、米の栽培に役立ったのです。

見沼代用水路が出来て3年後この運河が開かれ西縁の距離は、654m、東縁は、390m
東西2箇所ある関所は、それぞれ精密な設計と工夫がされており、先生の説明に驚く
ばかりでした。
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見沼代用水西縁



見沼地域は、中禅寺湖に匹敵する位の面積で、水田が殆どで、水田に水を入れる為
の用水でもありました。
道路から少し下ったところに、用水があり、なお低くなって、水田に水が流れやすく
設計されています。


見沼通船掘りは、今から80年前までは、使われていました。1982年に国の史跡に指定
され土地に結びつく文化財となりました。
また、わが国最古閘門式運河だそうです。閘門式運河と言うのは、水門を設けて開閉
し、水位を調節して船を通すのだそうで、現場で、水門を見ながら説明を聞き、水門
を閉じる板の溝がないところに、水圧で、柱と柱に板を積み重ねてゆくなど細かい説
明にただただ聞き入ってしまいました。

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船の停伯場所

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見沼通船掘石碑

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水を溜める関

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見沼新田に水を流れやすくする為に、目で見ても解るように橋の上から、先生の指差す水田はかなり低くなっておりました。

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八丁橋 この橋を渡り水神社

芝川に掛かる八丁橋を渡り水神社を見学東縁に入りました。

>後半へ続く


e街編集員木下 


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