北浦和コラム

『初夏の見沼通船堀周辺を歩く』に参加してⅡ
前回紹介いたしました西縁に続き水神社から東縁を散策いたしました。
水神社は、見沼通船掘が開通した翌年の享保17年(1732)6月の創建と
伝えられています。

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水神社

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説明板

水神社は、見沼通船掘が開通した翌年の享保17年(1732)6月の創建と伝えられています。
祭神は、岡象姫命。享保十六年、井沢弥惣兵衛為永によって開さくされた見沼通船掘が開通し、江戸と見沼代用水路縁辺の村々との物資輸送が可能になった。船は代用水路縁辺河岸で荷物(江戸時代においては年貢米であった)を積んで江戸へ行き、帰りは肥料塩、酒などの商品を積んできた。荷物の積みおろしをする河岸場は、芝川と東西縁用水路沿いに五十九か所あった。八丁の河岸場もその一つでありこの付近には河川輸送にたずさわる人たちが住んでいた。
水神社はそのような仕事に着く人たちが、水難防止を祈願して祀ったものである。
昭和五十八年三月

この様な説明板がありました。

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石碑

隣の石碑には、歴史上の人物や年号など色々記されておりましたが、年月が経っている
事と汚れなどで、文字まで写す事は、出来ませんでしたが青木先生の説明がありました。

水神社の前の通りは、赤山街道と称し、与野駅に通ずる赤山通りに出るのだそうです。
これもまた初耳で、学ぶ所がありました。

水神社を後に、いよいよ東縁です。
歩いていて気が付いたことは、最近建てられたのでしょうか、建物が多くなってきました。
関所跡の二箇所も近くに家がありました。水門の水位計や、彼方に水門が見えたり、見沼
通船掘の立て札、通船掘の縮小見本などあり歴史を学んだ時間でした。

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芝川と八丁橋

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東縁史跡

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東縁には、民家が目立ちました

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東縁 一の関所跡

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水位計

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遥か彼方に水門が見えます

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水門

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説明板

国指定史跡 見沼通船掘 東縁
一、指定年月日  昭和五十七年七月三日  文部省告示第百十五号
二、指定基準
   特別史跡名勝天然記念物及び史跡名勝天然記念物指定基準
   史跡六(その他産業交通土木に関する遺跡)による。
三、 見沼通船堀は、わが国最古といわれる閘門式運河の遺構です。
  享保十三年(1728)徳川幕府は、井沢弥惣兵衛為永に命じ灌漑用水である見沼代用水
  路を開削しました。その三年後の享保十六年、物資輸送を目的に、為永によって東縁
  用水、西縁用水とその中央を流れる芝川を結んで作られたのが見沼通船堀です。
   見沼通船堀は、東西二つに別れており、東縁側が約三百九十メートル、西縁側が約
   六百五十メートルあります。東西の各用水と芝川との水位が三メ-トルもあったた
   め、閘門を用いる事によって水位を調節し、船を道しました。
   ここ東縁通船掘は、ほぼ直線となっていて当時の様子がよくわかります。通船の時
   は、堀の土手から船につけた綱を引いて通しました。このとき船頭はもちろんのこ
   と、近所の人々の大きな助けが必要でした。
   平成九年三月
   さいたま市教育委員会
 
 このような内容の説明板がありました。

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見沼通船掘り歴史の道

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かるがも親子

むすびといたしまして、
本日参加するにあたり、ラップスの塾長から進められ、20名中最後の20番で参加しました。
前回は、以前住んでいた地域の歩け会で参加しましたが、ただ歩いて、水門があったり、
江戸に荷物を運ぶ運河だった。くらいのことしか記憶にありませんでした。

しかし今回は、歴史研究家青木先生との出会いがあり見沼代用水が引かれ三年後には西縁
から東縁の見沼通船堀が出来、その通船掘は閘門式で、しかもわが国最古のものであり、
尚かつ 国指定史跡である事も知り、多くの歴史を学ぶ事が出来ました。
青木先生公民館の職員さん大変お世話になりました。ご一緒してくださった皆さんお疲れ
様でした。



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